クラフト メルクリンとミニチュア模型制作の専門店

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Reported by Y.Miyake/CRAFT at Potsdam Germany
 第1回目のテーマは「ベルリンのSバーン」です。Sバーンとはドイツの主要都市にある近郊電車のことで、ちょうど東京で言うところの山手線や中央線に当たるものと考えていただければよいかと思います。さて、毎日100万人の人々が利用するというベルリンのSバーンはどのように生まれてきたのでしょう。簡単ですが、その流れをご紹介していきましょう。
 ベルリンSバーンの歴史は19世紀末にまでさかのぼることができます。この時代のベルリンはヨーロッパ随一のメトロポール。多くの明治の文化人達も、日本の将来像をこの地に求めました。さて、当時の主要な公共輸送機関はといえば「馬」。つじ馬車、馬に引かせるオムニバスなど、あちこちで石畳を蹴るひづめ音が聞かれました。しかし、都市の拡大に伴って郊外から中心部に通勤する者が増え、中心部の交通量も増えてきました。「馬」による輸送量には限界があり、人々はそれに代わる輸送機関を必要としました。そこで、
当時遠距離移動のためにだけ利用されていた蒸気機関車をローカル線としても走らせるようになったのが、今日のSバーンの始まりです。というわけで、1880年台にはすでに環状線、近郊線などがベルリン中を縦横無尽に走っていました。その後、Sバーンが正式に登場するのは1924年ですが、それからわずか数年の間にすべての路線で電化が行なわれました。これを人々は「巨大な電化」と呼びました。のべ13600人の労働者、当時のお金で2億マルクを投資したこの巨大プロジェクトはまさに「巨大な電化」と呼ぶにふさわしく、ベルリンの交通史上、後にも先にも類を見ないものとなりました(写真1)。その後もベルリンのSバーンは拡張を続け、その鉄道総距離は1933年までに230キロメーター、6年後の1939年には270キロメーターに達しました(写真2)
写真1
(写真1)
1925年Oranienburugにお目見えしたSバーン
写真2
(写真2)
1936年当時のベルリンSバーンの路線図。鉄道の距離は270キロメートルにも及ぶ。
写真3
(写真3)
戦後間もないベルリン。瓦礫の間を走るSバーン。
 戦時中もSバーンだけは唯一の公共輸送機関として動きつづけました。しかし、ベルリンも戦争の砲火を免れることはできず、1945年4月の空襲を受けて町は廃墟と化してしまいました。Sバーンもまた、その瓦礫の下に埋もれてしまいました。しかし、同年の6月、終戦からわずか数週間後という短期間ににSバーンはヴァンゼーとシェーネベルク間 (写真3)で運転を再開したのです
 冷戦時代、両陣営の統轄下でSバーンも二つの異なる変遷を遂げることになります。まず
東ベルリン地区では、市民の移動手段としての意義が高まりました。70年代、80年代を通して、線路はさらに拡大されました。壁を隔てた西ベルリン地区では、これとまったく逆のことが起こりました。西ベルリンの市民は東西に分断されたSバーンの利用を、共産党独裁政権を認めることだとして拒みつづけました。環状線に沿って敷設された高速道路には、代替交通機関としてバス路線が開通し、西ベルリンのSバーンを利用するものはいなくなりました。こうして西ベルリンのSバーンは、東西の統一がなされるまでの間、時代の変化から取り残され、長い眠りについたのでした(写真4、5)
写真5
(写真5)
荒廃した西ベルリンのSバーン駅
写真4
(写真4)
ベルリンの壁によってぷっつり切れた線路。周りには雑草が生茂っている。
 1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、再び東西の行き来きが自由になりました。人々は家族や友人に会うために、あるいは買い物をするために、西へ東へと出かけていきました。1990年7月2日、壁による分断以来初めて、東西ベルリン間をSバーンが走りました。これを皮切りに、徐々に分断されていた箇所が繋ぎ合わされ、今日のSバーンの姿になっています(写真6/イメージだけでもご覧いただければ...)
 2002年現在もこの作業は継続中。乗客はしばしば「モグラおじさんの張り紙」(工事に伴うSバーンの運行停止、バスによる代替輸送などのお知らせに登場するキャラ)に出くわすことになります。このような突然の災難にも、ベルリーナーは実に寛大。極寒のプラットホームで20分後のSバーンを待ち、代替バスにも愚痴一つこぼさず乗り換えます(私もそのうちの一人)。このような市民の理解に支えられ、ベルリンのSバーンは今日もすくすくと育っているのです。(参考資料: S-Bahn Berlin; S-Bahn Berlin GmbH提供)
 以上、第1回初回レポートをお届けしました。お楽しみいただけましたか? 私のレポートが日本のメルクリンファンの皆様のホビーライフを一層楽しいものにできれば...と思い、一生懸命レポートしました。皆様のご意見をぜひ聞かせて下さいね。では... Mit herzlichen Gruessen,Y. Miyake
写真6
(写真6)
現在のSバーン路線図(ちょっとサイズが小さいですか?)
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