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メルクリンとミニチュア模型制作の専門店
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●オランダ人街とロシア人居住区
さてLange Brarkeから続く、Friedrich-Ebert Str.(写真6)をさらにまっすぐ進みます。Alter Marktの次の停留所であるPlatz der Einheit(統一広場)、次のBrandenburger Str.を抜け、その次のHol穫disches Viertel(オランダ人街)で下車しましょう。この一角にはフリードリッヒ・ヴィルヘルム一世が招致したオランダ人商工業者が多くすんでいました(写真7、8)。これらの家はオランダのたたずまいそのままに建てられ、またすべて家具付きで王からオランダ人にプレゼントされたものだそうです。こうしてここに住まったオランダ人は、プロイセンの手工業発達のために尽力しました。現在もここにはアーティストがおおく住んでおり、かわいい雑貨屋さん、焼き物屋さん、そしてカフェなどが軒を連ねます。オランダ人街のすぐそばにはナウエン門(Nauener Tor)が立っています(写真9)(Torは「門」の意)。
ナウエン門は外部からの侵入者を拒むためにあるのではなく、実は内部からの脱出者を見張るためにあったそうです。写真でおわかりいただけますが、路面電車はこの門をくぐって走ります。さて、この門を抜けてさらに先まで行くと、Russische Kolonie (ロシア人居住区)に着きます。ここは、ロシア風の黒っぽい木組みの家がたくさん見られます。(写真10)
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(写真10下) |
●新庭園内(Neuer Garten)のCecilienhof
さて、新庭園に入ってきました。足のある方はぜひ水際を歩きましょう。夏はこの水辺で(オールヌードで)水浴びをしている人々がご覧になれます。この庭園の一番奥に、ツェツィーエン・ホーフ(Cecilienhohof)があります(写真11、12)。最後のドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が総工費 150万マルクで皇太子ヴィルヘルムとその妻ツェツィーリエ(フォンメクレンブルク・シュヴェリーン) のために建てさせた城。イギリス別荘風の建物で、5 つの中庭を囲んで 176の部屋があります。一角はホテルとしてつかわれています。一階は石造り、二階以上は木骨建築(Fachwerk) のスタイルをとっており、ここは皇太子夫妻の定住の館となりました。しかし、第一次大戦の塹壕戦で兵士達が悲惨な最後を遂げ、市民が戦争に必要な金属を供出させられている時(1913〜16年)に、この城がつくられたことに対し批判が上がりました。そんなこんなで第一次大戦後、皇帝と皇太子はオランダに亡命。皇太子妃ツェツィーリエは子供たちと二年間この城に留まり、長男、次男はアビトゥア(大学、高等教育機関への入学資格試験)が終わるまでこの城で生活しました。
しかし、日本人にとってはむしろ、この城は「ポツダム宣言」採択の地として有名でしょう。1945年7月17日から8月02日まで、この城でトゥルーマン、チャーチル、スターリンのいわゆる「三巨頭」会談が行なわれ、ドイツ及びその他の敗戦諸国の戦後処理についての話し合いが行なわれました(写真13)。ソ連がポツダムを選んだのはベルリンは爆撃で壊滅状態にあり、適当な場所がなかったたこと、またポツダムはプロイセンの象徴的町でもあったためです。内部は見学可能で、ポツダム会談が行われた広間(写真14)、各国首脳の控え室などを見ることができます、(写真15はWeisser Salon「白のサロン」)。会談の会場はここですが、それぞれの連合軍は別の館に引き上げ、会談のために日中Cecilienhofをおとづれるというスタイルをとりました。この別館はそれぞれスターリン・ヴィラ、チャーチル・ヴィラ、トルーマン・ヴィラという名前が付けられ、わたしの住むGriebnitzseeの水際に並んで建っています。ポツダム会談は九日目に二日間中断されました。チャーチルが下院議員選挙で敗北し、アトレーが新首相に就任し、政府交代が行なわれたためです。実はこのとき、チャチールはガンをわずらっており、かれは政権交代後まもなく息を引き取りました。
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(写真11)
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(写真12)
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(写真13)
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(写真14)
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(写真15)
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●ブランデンブルガー通り、ブランデンブルク門、サンスーシー庭園まで。
さて、わたし達はもう一度Friedrich-Ebert Str.に戻りHolaedisches Viertelをすぎ、Brandenburger Str.まで引き返しましょう。なぜなら、ここはポツダム市民のお買い物ストリートだから!。とおりを歩くとこんな屋台の八百屋さんもあります(写真16)。この女性はBIO(無農薬・有機野菜)食品のキャンペーンガール(写真17)。着てるものがにんじんのザックだ。「ちょっとあんた、この写真国に帰ってみんなに見せんじゃないわよ」と釘をさされたんだけど...このお買い物ストリートの出口にあるのが、ブランデンブルク門 (Brandenburger Tor)です(写真18)。「えっ、ブランデンブルク門って、ベルリンにあるんじゃないの」とおっしゃるあなた。ポツダムでブランデンブルク門といえば、この門のことを指すのです。ブランデンブルク市に通じる門だったので、ブランデンブルク門といいます。「なんだ、そのまんまじゃん」ってね。これとのアナロジーで、さきほどのナウエン門はナウエンに通じる門だからナウエン門です。門の名前がそのまま道しるべになっているのは方向オンチのわたしにはありがたいことですが。さあ、ここまでくれば、サンスーシー庭園までは目と鼻の先。これが、サンスーシ庭園への入り口となっている門です。
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