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メルクリンとミニチュア模型制作の専門店


写真3
(写真3/4.5.ホームに入ってきたSバーン。オープニング前にて、現在はこのホームだけが乗客に解放されています)
 中央駅はレアターバーンホーフ(Lehrter Bahnhof、1868-2002)の跡地に建設されています。新駅の命名に関してはこの慣れ親しんだLehrterbahnhofの名を残そうという意見と、駅の機能をはっきりさせるべくHauptbahnhofの名を取るべきという意見とが市議会で対立しました。2003年にはベルリン市民の意見を問うアンケートにまで事態は発展。アンケートの結果、市民の間には昔ながらのLehrterbahnhofの名前を残してほしいという意見が圧倒的だったそうです。無理もない、赤煉瓦の重厚な駅舎は1868年から存在し、かつてはハンブルク行きの汽車がでるという栄華を誇った駅なのです。こうした住民の意見にもともと反対のドイツ政府は、中立案としてBerlin Hauptbahnhof ミ Lehrter Bahnhofと二つの名前を付けることを発表。しかしながら、この案もワールドカップ開催国の首都の駅名にふさわしくないとの意見から、現在は再びHauptbahnhof案が浮上しています。現在もこの駅には統一的な名前がないままなのです。とりあえず、都市間急行列車内のアナウンスや表示にはHauptbahnhof、市民の足であるSバーンに関してはBerlin Hauptbahnhof-Lehrter Bahnhofというダブルネームでという、再折衷案に今のところ落ち着いたところです。いや、まったく落ち着いた感じはしないけど。ですから、ワールドカップでベルリンにお越しの皆さん!たいへん紛らわしいのですが、ベルリン市民がLehrterbahnhofと言ったら、それはベルリン中央駅のことですから、お間違えのなきよう...
写真4 写真5
(写真4) (写真5)
 それにしても、立派なガラス張りのトンネルですね(写真3-5)。しかし、この建設現場もずっこけ話に満ちあふれているのです。地下層部のトンネル工事ではシュプレー川の水がなだれ込んで工事に一年分の遅れをきたし、またこのガラス張りのトンネルも相次ぐ計画変更で、西側から100メートル、東側から30メートル短くなってしまった。予算が削られ、さらにトンネルの敷設工事が人間業をかけ離れており、現場が工事続行をあきらめたためだということです。この計画変更が著作権侵害にあたるとして、駅の設計を手がけた建築家Meinhard von Gerkanが2005年にドイツ鉄道を相手取り裁判をおこした。さらにはトンネルの長さが足りずICE一等車両ご利用のお客様は、雨天時に大変お足元の悪いプラットホームに降り立たねばならない(印象わる〜、一等車予約したのに!)。しかし、この度重なるトンネル事業縮小のおかげで、めでたくワールドカップ開催セレモニーに駅のオープンが間に合うという。これは塞翁が馬なお話でした。
写真6 写真7
(写真6/高架したより、鉄道を見上げる。立派な作りですね) (写真7/ライヒスターク、ブランデンブルク門方面にお散歩してみよう)
 さて、工事現場を離れて駅を遠景から眺めてみましょう。地下鉄が走ることになっている南の方角へ、ライヒスタークやブランデンブルク門のあたりまで歩いてみましょうか。駅の高架をくぐり...(写真6-7)、南側正面入り口の方にでてみます。駅のガラス張りの壁にBerlin HauptbahnhofとDBのロゴも見えます(写真8)。現場作業者ともすれ違います、ご苦労様(写真9)。
 ここから駅を見ると、トンネルをまたぐ形で「コ」の字型の橋が二本かけられている構造になっていることが分かります。この機構はトンネルの両サイドに垂直に立てた状態で組み立てた後、クレーンでちょうど跳ね橋が真ん中で閉じるようにかけたらしいです。なにせ一つの橋が1250トン、これが2センチとずれなく合わさったというからすごい。
資料(http://www.bahnhof.de/site/bahnhoefe/de/ost/berlin__hbf/berlin__hauptbahnhof.html)
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