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メルクリンとミニチュア模型制作の専門店
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ドレスデン蒸気機関車フェスティバル
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Reported by Y.Miyake & T.Sakamoto/CRAFT at Germany
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〈はじめに〉
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五月も終わりだというのに、今日は吐く息が見えるほど寒い。午前7時15分、ベルリン・シャルロッテンブルク駅。プラットホームはすでに乗客と鉄道ファン、そして野次馬などでいっぱいである。そこへゆっくりと、03型が入ってきた。私は蒸気機関車を見るのも、乗るのも初めて。「すげーっ、すげーっ」を連発しながらプラットホームを走り、先頭部の鉄道ファンに混じって写真を撮る。ふと我に帰ると乗客はすでに乗車済みで、愛好家の一角以外は誰もいなくなっていた。慌てて先頭車両から乗り込む私。 そう、これから私はこの特別列車に乗って、ドレスデンの蒸気機関車フェスティバルに向かうのです。「しゅっぱーつ」とばかりに大きな汽笛を鳴らし、機関車が動き始めました...
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ベルリンシャルロッテンブルクに入ってきた蒸気機関車03型
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〈ドレスデンまで〉
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ベルリンではドイチェバーンと蒸気機関車協会の主催で、月に1回ほど蒸気機関車が走る企画があります。行き先はハルツ山地や海辺のヴァルネミュンデなど、自然が美しい町ばかり。こうした年中企画の中でも、ドレスデンの蒸気機関車フェスティバルを訪ねる旅はもっとも大きなイベントの一つとなっています。フェスティバルの期間中(今年は5月20日から23日まで)、毎日一便、ベルリンドレスデン間の往復便が運行されます。
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特別列車でーす。予約がない方は乗れません...
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機関士さんは出発前の腹ごしらえ?
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今回使用された客車はライヒスバーンの70年代製。内装があまりレトロでないためか、客の入りはいまいち。このコンパートメントの中で、私は一人の紳士とご合席することになりました。彼はドイチェバーンの職員で、線路のメンテナンスを専門とする「グライス・マイスター」とのことでした。1994年に東西の鉄道を統合したドイチェバーンができる前は、東のライヒスバーンにお勤めされていたそうです。「うちは家族中が鉄道関係でね。弟が機関士で、かみさんが車掌をしているんだ。僕の父親も機関士だった。だから家族が集まるとね、話のネタは一つさ、わかるだろう。」そういって、彼は鼻からいっぱいに空気を吸い込み「この蒸気と石炭とそして少し油の混じった煙の匂い!これを嗅ぐと、子供のころを思い出すよ。橋の欄干にたって一日中、蒸気機関車が通るのを見ていたんだ。」と言いました。私は今日初めて嗅ぐ匂いなのにな。新鮮でわくわくはするけれども、彼のようにノスタルジックな気持ちとは結びついていない。同じ匂いでも、人によってこんなに持っている意味が違うのだ、と感じました。煙は、時に太く、時に細く窓辺にたなびいていきます。そうこうしていると、コンパートメントに元気よく車掌さんが入ってきました。今日は在りし日のライヒスバーンの制服を着て登場!切符も当時のものを真似て、手で書き込む方式です。私たちは予約するのがかなり直前だったので、切符をまだ持っていませんでした。ここで往復の列車料金と、フェスティバルへの入場料を払います。しめて59ユーロなり(レポート最後の情報も参照)。
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客車内にて撮影。ブルーの座席は張りなおしたのか...
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現在ドイツにある蒸気機関車のほとんどは、旧東ドイツの鉄道、ライヒスバーンが所有していたものです。これは壁時代の東西の政策の違いが関係しています。西側のブンデスバーンでは50年代60年代の電化に伴って、ほとんどすべての蒸気機関車が破棄されてしまいました。これに対し、東側では電化が禁止されていました(石炭工業保護のためだったのか、東へ向かう国際列車との兼ね合いだったのか、それとも単に技術的な遅れのためなのか?)。70年代の大規模な改造を経て、蒸気機関車はなおも現役で走り続けたのです。今回フェスティバル会場も、ライヒスバーンの機関車庫を利用したものです。
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